一方、これもエジソンと重なるのですが、ピアノ教師だった私の母は、私のクレイジーの最も良き理解者であり、応援者でした。尤も、その母も呆れ、落胆することも多々有りましたが。とは言え、母も私以上の変わり者だったのかも知れません。呆れ果てた教師に何度も呼び出しを喰らいながらも。「末は単なる馬鹿者か大物か?」の言葉を頂戴した時のことです。「このままじゃ単なる馬鹿者ですよ!お母さん」の意味で言われたのに。「末は大物だってさ!」と喜んで帰って来た様な母でした。「都合の良いことしか頭に入らない」と言えばそれまでですが。そんな母は、私が何かにのめり込む度に、「どうせまた直ぐ飽きてしまって、他の事に熱中するんだから」とけなしながらも。しばらく続いていると何となく応援してくれる。もしかしたら、ヘソ曲がりな私はその応援の所為で、気が削がれたのかも知れませんが。
民族音楽にのめり込んだ時も母のけなし文句を浴びました。そこで、番組を初めて聴いた時の、初めて出逢った民族音楽であるインド音楽から、「地続きで隣々を勉強しよう」と珍しく堅く心に決めたのでした。地理的な興味にも通じるし、母たちに対する大義名分にもなった訳です。が、そうなると尚更「割愛された地域」が大きな問題になるのでした。 その番組に限らず、後々嫌と言う程痛感するのが、日本人の奇妙な「割愛感覚」でした。私は、元来の日本人の感性の素晴らしさを「外来の化合物を一旦分子に解きほぐして迄享受するところ」と述べています。料理に喩えれば、「麻婆豆腐」を、「豆腐、味噌、唐辛子、野菜、肉」に分けて享受・理解する。だから、「豆腐の上にほんの少しの味噌を載せ唐辛子をひと振り」などという如何にも日本的なものを作り出す。ところが、何時の日からか日本人の多くは、この「本質の追求」の感覚を忘れ。「割愛、差し引く感覚」になってしまった。インド音楽が話題になっても、となりのパキスタンやバングラデシには無関心。インドネシアのガムラン音楽が話題になっても、マレーシアは無視。中国の二胡の音楽が人気になったり、「シルクロード」に憧れを抱いても。「仏教はインドを発し、中国を経て」とか、「ペルシアの文物が中国を経て」とか、「三味線は、中国から沖縄を経て関西の堺に」などと安易におっしゃる。「エジソン病の社会科オタク」は、やおら反発を覚える。インドから中国の間にあるチベットはどうなんだ? インドシナに伝わった仏教は? 沖縄からだけでなく、九州経由もあるのでは? ペルシアから中国迄の間のモンゴル、カザフ、キルギス、ウズベク、ウイグルは? となるのですが。誰も答えてくれなければ、語ろうともしない。気付けば、その「無視された地域」を北から挙げれば、モンゴル、カザフ、キルギス、ウイグル、ウズベク、チベット、ビルマ,タイ、カンボジア、ラオス、ヴェトナムとなり。ぐるりと中国を囲む「輪」になっているのです。そして後々、この「輪」こそが、非常に重要な存在であり、「Missing Link」であり「Missing Ring」であることを知るのです。
FM番組でも、ビルマ、ベトナムは、ちょこっと紹介されました。後で分かるのですが、結局は、欧米のレコード会社から出て居ないものは番組で掛け様が無かった。他は、解説者の先生が現地研修した地域が例外的に紹介されるのみ。そして、皮肉にも、ビルマ,ヴェトナムは、軍事政権や共産政権の文化弾圧を逃れ、難民として欧米に渡った音楽家がレコードを出していた。モンゴル、カザフ、キルギス、ウズベク、チベットは、その様な音楽家が居なかった上に、いずれも社会主義国の下に置かれていましたから。解説者さんが興味を持ったとしても紹介し様が無かったのです。
若林忠宏(わかばやしただひろ)
民族音楽研究演奏家。1956年、元文学座俳優の父、ピアノ教師の母の下、東京に生まれる。1972年中学三年の時に、民族音楽と出会い自作楽器で独学を始める。高校入学直後にインド弦楽器シタールを入手し、その年、池袋に一店のみだったPARCOと、Live-Houseの原点だった「渋谷じぁんじぁん」で日本初の民族音楽演奏家としてプロ・デビュー。以後、世界中の民族音楽で大小1500回以上演奏。1978年に都下吉祥寺に日本初の民族音楽ライブスポットを開店、1990年には、日本初の民族楽器専門店を開店、それぞれ20年、10年続け、1999年に閉店。
その後は、日本の伝統邦楽修行に邁進するが、「民族楽器音の辞典」CD90枚の製作依頼を受け、一年足らずで中断。在京各国大使館での演奏 、TV-C.M.、ポップス・アーティストの録音に参加。「タモリの音楽は世界だ(二回)(二回目は北島三郎さんと共演「与作」をインド楽器で伴奏)」「タモリ倶楽部(四回)」「題名のない音楽会(二回、二回目はソロ)」「開運なんでも鑑定団(特別鑑定士)」「なるほどザ・ワールド」などに出演。1980年インド・ラクナウ市にて日本人初リサイタル。1984年ペシャワールのアフガン難民児童医療団慰問演奏。の他、タイ、マレーシア、ウズベキスタン、中国、スペインなどで音楽研修。来日民族音楽演奏家との共演の際にレッスンを受け世界中に数十人の師匠を持つ。
著書に「アジアを翔ぶシターリスト(大陸書房:絶版)」「民族楽器大博物館(京都書院:絶版)」「民族音楽を楽しもう」「世界の師匠は十人十色」「アラブの風と音楽」( 以上ヤマハ出版)。「もっと知りたい世界の民族音楽」「民族音楽辞典(日本初)」(以上東京堂出版)。「スローミュージックで行こう(岩波書店)」「民族楽器を演奏しよう(明治書院:学びやぶっく)2009年6月」「まるごと民族楽器徹底ガイド(YAMAHA)2010年2月新刊」などの他、共著もある。
中央アジア民族音楽に関しては、1980年に手製ウイグル楽器でアジア大学学園祭に出演したのをスタートとし、1984年にソ連時代のウズベキスタンに特別研修に赴き、主にホラズム音楽を研修。2000年には、新潟アジア文化祭の解説を担当し、来日ウイグル歌舞団と交流。
2014年現在は、膨大な楽器資料の保管と、保護猫の健康の為に福岡市郊外に移住し、インターネットTVによるレッスン、講習会、執筆活動によって、捨て子猫、野良子猫の世話に寝食を削っている。
尚、各方面に募集中の連載コラムは、このウイグル協会の他に、この度2014年11月に発刊された「ウイグル十二ムカーム」の出版社である集広舎のWebでも、猫と音楽が絡んだコラムを2014年9月より連載中。 http://www.shukousha.com/category/column/wakabayashi/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その1) 「ウイグル音楽との出逢い(の前に)」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2014/10/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_01/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その2) 「ウイグル音楽との出逢い(前編)」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2014/11/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_02/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その3) 「ウイグル音楽との出逢い(後編)」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2014/12/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_03/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その4) 「ウイグル弦楽器『ラワープ』の不思議な翼」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2015/01/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_04/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その5)「ウイグル詩の深淵と歌声の天真爛漫」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2015/02/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_05/
【連載】麗しき天真爛漫の響き(その6)「ふたりの日本人に託されたカセット全集」若林忠宏
https://uyghur-j.org/japan/2015/03/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_06/
【関連】
【本】「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」萩田麗子
https://uyghur-j.org/japan/2014/10/book_12muqam/
【11月27日東京亀戸】「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」出版記念講演会
https://uyghur-j.org/japan/2014/10/20141127_12muqam/