【書評】集広舎刊「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」萩田麗子翻訳・解説:若林忠宏


ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌 私は、萩田麗子さん訳・著作の「ウイグル十二ムカーム」の書評の依頼を受けた時。まず、本書が手渡される世の中と、手にする人々のことを考えた。

 言う迄もなく、2011年の震災以降、ますます世の中は殺伐として来ている。人々に最も危惧されるのが、事件が増え、その性質がある種異様な方向に急速に向いていることだが、更に心配なのは、むしろ被害者のコメント(を求めなくてはならないと思い込むマスコミにも疑問符が付くが)にも何か昔に無かった異質なパターンが感じられることだ。

 「世の中はこの先どうなって行くのだろうか?」という声は随分前から方々で聞こえるが、その答えは簡単だ。ほぼ完全なる消滅か、それに等しい荒廃。もしくは何らかの自発的な回帰の凄まじい努力の動きと流れが生ずる。この二つしかないことは私が言う迄もないことだろう。問題は、その分岐点に何時到達するか?であり、その時に私たち人間は、過去数千年の文化、伝統と、先人たちの教訓を何れ程多く携えて行けるか? 要するに、その時点でまだ生き残っている遺産が何れ程在るか?であろう。この事に関しては、未だ多くの人々が考えるに至っていない様子だ。現状、危機感を感じている人がむしろ最前線の人々だからだ。

 殆どの人々は、人間の歴史や地球の生命などは愚か、孫の代の事さえ本気で考えを巡らすことがなく、我が身の保身と、このまま無難に人生を逃げ切ることしか考えていない、というのは極端な決めつけであろうか? もしこの事が決め付けでないならば、その様な世の中に、言わば奇跡的に本書の様なものが突如として舞い降りたのだ。この事をどう比喩すれば、より多くの人にこのショッキングな出来事の本質が理解されるであろうか? 

 本書は、「芥川龍之介が表現した蜘蛛の糸の類いのひとつである」が良いだろうか? それとも「本書はノアの箱船乗車券の整理券である」が良いだろうか? 私の感覚で申し上げるのであるならば、本書は、まだ私が純粋以外の何ものでもなかった小学校の卒業文集の様であり、最後の望みを抱いて、物置の奥で探し当てた先祖が残した家系図や言い伝えであり、結局出さずにしまわれていた親に向けた手紙の様である。

 決して住み心地の良い土地柄ではない地球上のと或る地域で、決して平和で長閑な社会ではなかった時代に、同じく、決して恵まれ豊かな生活を満喫していた訳ではない詩人たちが、正に命と時を削って絞り出す様に書き残した詩句の数々を、私ごときの甘ったれた人間の卒業文集や先祖の文言などに喩えるなど、失礼無礼極まりない。しかし、本書を知的好奇心を少しの間だけ喜ばせる素材や、少し感慨深い人間になった様な美化の当て馬にするよりは、もっと身近で、もっと自分自身を見つめ直すきっかけにすべきであると思ったのである。
 来るべき時が来た時に、「果たして如何程の遺産を携えていられるだろうか?」と書いたが、何故それが大切か? それは、不幸中の幸いにも人間の大半が回帰の道を選んだとしても、その先しばらくは続くであろう、現在よりも過酷な状況を乗り超える為の抵抗力を授けてくれる、言わば初乳の様なものだからである。

 「人類は時代の変遷とともにその生活形態や価値観を変化させ適応して来た。未来もそうであろう」とお考えになる人々は、過去の遺産など不要と考えるかも知れない。よかろう。では、敗戦のコンプレックスによって、ことごとく文化遺産をないがしろにして来た日本人は、この70年近くの間、幸福であったと言えるのだろうか。そして、適応変化の結果として、現在の日本人の姿は、今迄と比べても遜色無い立派さだといえるのだろうか。そして、この先、SF小説が現実のものになったかの様な未来に適応して行くだけの人間が、どのような素敵な姿になっているとお考えなのか。

 「本書がこの時代に現れたのは、言わば奇跡だ」と述べた訳は、単純に、この不景気の世の中に、極めてマニアックな書物が果たして何れ程の人が手に取ろうとしてくれるのかを考えれば、何処の出版社も出さないだろうというつまらない意味ではない。そもそもそれは、今もこれからも、過去数十年の私たちの愚かな書物との関わり方を続けて行くという前提でのことであり、上記した様な「叡智の源のひとつ」として向かい合うのであるならば、奇跡ではなく必然であると言える。

 その様な受け止め方、向かい合い方、読み方をした人は、必ずや何かが変化し、それが周囲の人々に何らかの良い波動を伝えるに違いない。そして、何気ない会話の中で本書が引き合いに出されれば、また読んでみようという人が増えて行く。

 そうなのだ。本書の出現が奇跡であるか必然であるかは元より、本書が「叡智の源のひとつ」になるか、それとも知識情報のひとつで終わるかは、全て私たち読み手の覚悟次第なのである。分かり易く言えば、本書の価値は、その本質的質の高さ以上に、読み手、受け手に委ねられているということなのだ。更に分かり易く言えば「全ては読み方次第」ということだ。

 もう少し優しくガイドをさせて貰うならば、本書を読み手ご自身の人生に如何に身近に感じられる様にするか、の工夫が第一歩であろう。その前には、本書をより読み易く感じる工夫が必要かも知れない。

 例えば、まず読者は、目次の聞き慣れない見慣れないムカームの名前に取っ付きにくさを感じるだろう、「ムカームとは何ぞや?」を解説文で知ったり、ネット検索で勉強するのも良いが、それでも分かりにくいかも知れないし、その最中に気持ちが萎えてしまうかも知れない。

 私にとっては30年以上憧れて来た名前であるが、読者の方々には、これを十二の王の名前位に受け止めて欲しいと思う。さすれば初耳で当然であるし、読み進めて行く中で混同混乱することもあるまい。そして、それぞれのムカームの作品様式の名称は、王の住処の部屋の名前とでも考えて下されば良いだろう。執務室と食卓、または狩り場や市街では王のたたずまいも異なって当然であるから。そして、これらは王の代が替わっても、部屋や場面の名称が変わらないのと同じに、全てに共通しているのだ。

 そして、それぞれの詩人は、それぞれの部屋や場所に於ける、王や貴族や、庶民、農民、若者とその恋人の物語をある種の統一された価値観(ムードに近い)で書き残しているのだ。そこには、詩人の生 き方や物の考え方、感性も大きく反映されつつ、その時代のみならず、人間が普遍的に持ち得る感情を様々な視座から掴み取って描かれている。

 私は、本書翻訳解説者の萩田麗子さんの詩人紹介文の文化的価値に畏怖の念を抱いた。そして、本書の各ムカームの詩句を読み進める為に、詩人紹介の部分をコピーして傍らに準備し、その都度頁をめくることを省いた。各詩句の冒頭の詩人の名前を見た時のみならず、詩句を読み進めてゆく中で、その表現のおもしろさや難解さに出くわす度に、詩人のプロフィールを読み直した。

 「むしろ面倒くさい」とおっしゃるなかれ。何故ならば、この「十二ムカーム」ほど多彩で多様な作詞者の作品を編纂したものを私は他に知らない。大概は、ある程度似通った価値観や生き様の人間が書くが、「十二ムカーム」は全く逆なのである。本書の前書きにもあるが、ある詩人は、「生皮剥ぎの死罪」別な詩人は「絞首刑」という人生の終え方さえしている。ペルシア辺りの宮廷お抱え詩人とは次元が異なるのだ。

「十二ムカーム」が何故に多様な作者を括ったのか?その理由を知りたくなれば、また探究心が沸き上がって来る。その様に、二次的三次的な探求や学びや理解が生ずるものこそ、書物と呼べる代物である。

 ご縁あって、光栄にも本書巻末の音楽、楽器解説の重責を担わせて頂いたが、その為に萩田さんとやりとりをさせて頂き、数々の新たな学びとともに、萩田さんの偏りの無い、しかし確固たる視座を持ち、それを築き上げる為の膨大な勉学と努力の基盤の豊かさに敬意を感じた。その一旦は、早々にも「前書き」にさえ現れている。

 この私の書評の冒頭の話題に関連するが。現在の様な世の中から気分だけでも逃避したい輩は、精神世界や神秘の世界に逃げ隠れようとするだろう。よって、この「十二ムカーム」のみならず、中世期の中央アジア~西アジアの文化遺産に於ける神秘主義の役割を過大評価したがる傾向が生まれる。また、本来この地域は「エキゾティック」であり「ロマンティック」なイメージを与えてくれていた。インド東南アジアのエキゾティシズムでは得られない、バルカン東欧コーカサスのロマンティシズム。後者に得られない、前者の深遠なムード。これらが中央アジア~西アジアで得られるのは、アレキサンダー大王の御陰であり、一部三蔵法師などの御陰でもあるのだろうが、その結果、南アジアや東欧の物語 に無い独特な風味を持つことから、有名な「千夜一夜物語」などがファンを作って居た。しかし、本書翻訳解説者氏は、精神世界派、ロマン派の双方に劣らぬ見識を持つ確かなスタンスの上に在りながら、十二ムカームへの憧憬の思いを素朴かつ純粋に綴っているのである。私はこの様な「決めつけの無い頑固なこだわり」をなさる方を本書翻訳解説者氏の他に多くは知らない。

 「決めつけの無い頑固なこだわり」は、言い替えれば「ゆとりのある頑固さ」とか「優柔不断なこだわり」といった、矛盾に満ちた破綻した性格をイメージさせるものである。ある意味「そう」なのだが、詩的に表現すれば、それは「遊び心とこだわり」であり、常人に於いても極めて純粋な少年少女に存在するものだ。しかし、少年少女は世の中を知らず、ましてや数百年前のインドやペルシアやトルキスタンの事等知らない。

 この書評を余生の住処に選んだ福岡で書いている私にとって、本書翻訳解説者萩田さんが熊本で生まれ育ち、私も一時期ご縁が深かった外語大で、パキスタンの公用語であると言うより、中世インド亜大陸の古典楽器演奏家でもある私にとっても最も親しみを得る言語ウルドゥーを専攻され、その後多くの研鑽を積まれた後にウイグルに辿り着いたという、共通点の多さに驚かされるのだが、この様な非凡な基盤を、少年少女が持ち得る事は決して無い。

 その様な「遊び心とこだわり」を以てこそ、「物乞いの欠けたる碗、世界を映す酒杯に劣らん」とか、「正気ある輩が酒場に足を運ぶは、我を忘れて恥をかくため」(いずれもMukam:Rak-Chiong Naghmaより)などの愉快な表現が出来るのであり。「薔薇が赤く若々しくなければ、風に吹かれて散らされる」(Mukam:Sigah)とか、「恋する者は恋人の美しい炎の周りを回って見せて、恋の炎で焼け死ぬことを 蛾に教えてやった」(Mukam:Panjigah) や「私が涙を流したら、耐えよとお前は言うのか 何たること、火傷が火で治せるとでも思っているのか」(Mukam:Ozhal)等の情熱的な表現から、「この世の宴に,時に誠実な者が現れたとしても 天は彼らの頭上に 苦難の石を振らせて消滅させる」(Mukam:Ajam)などの回りくどい表現をスマートに伝えてくれる。逆に言うと、この多様さこそは、十二ムカームの面白さであり、各詩人たちもまた、根本的には命を削り、時として死罪を被りながらも、「ゆとりのある頑固さ」と「遊び心とこだわり」を持った豊かな人物たちであったことが解るのだ。確かにスーフィズムの要素も少なくはないし、恋愛詩の対照は人間ではなく、神なのかも知れないが、だとして、ここ迄比喩に富んだ表現や時にユーモラスな表現、及び実に変化に富んだ人間の心の機微が、何らかの信条に狂信的なだけの者が書けるであろうか? 少なくとも厭世観に苛まれた逃避的な世捨て人には書ける筈が無い。

 奇しくも私は,今現在、中国三国志の時代前後の道教と七賢人のことを調べている。十二ムカームの詩人たちと重なる事が多い。

 七賢人にしても、十二ムカーム詩人にしても、言わば「完全なる世捨て人」ではないのだ。むしろ、哀れな程この世の中に喰らい付いているのだ。だから、逃避願望の輩が彼らの思想で満足を得られることはないだろう。「ゆとりのある頑固さ」同様に、「世に依存せず、世に喰らい付く」などという矛盾したものは、今の世の中中々理解されないかも知れない。しかしながら、何度も述べている様に、「今日分かり今日役立つ」ものは、「明日は使い古され捨てられる」ものかも知れないのだ。

 よろずを短絡的に解釈したがる者が多い日本である。かと思うと、自らの価値観を否定されないが為に、他者の異なる価値観に対し寛容で、多様性として美しくまとめたがる人も多い。しかし、いずれも「そこにあるもの」をあれこれ言い、批評、批判しているに過ぎない。

 上記もした様に、肝腎なことは、そこから何を学び、何を見出し,どのような新たな探究心を生み出すか?であり、それによって書物や文言および、読み手受け手の価値が高まって行くのであり、批評批判で偉く成れる訳ではない。

 本書をじっくり読まれる方は、その詩句の面白さや、物の考えの新鮮さに充分楽しむことが出来ることは言う迄もないが、もっと感動し、学びが多いのが、訳者解説者萩田さんの注釈文であろう。元々この時代のイスラム圏の文学は、西はモロッコから東はホータン、敦煌迄広大な土地を舞台に語っている。そして、それぞれの地の名物や名文句などが頻繁に引用されているのだから、相当な知識と分析力が無ければあの様な面白い解説は書けないのである。

 その様な意味も含め、本書は大変素晴らしい一冊であるが、有り得ない贅沢な欲を言えば、ローマナイズされたもので良いので、原詩と訳詞を並べて読んでみたいものだ。原詩には素晴らしいリズムがあるに違い無い。そして、それを如何に素敵に訳されたかも多くの人に伝わることだろう。勿論、要領が三倍以上になり、とても易々と出版出来るものではないだろう。故に、本書を手に取った人がその価値を高めつつ、より多くの人々が購読する様に育てて下さり、重版を重ねた後に、この夢を実現して戴けると期待したい。

 様々な意味に於いて、読み手が価値を高め、読み手の価値も育てる、希少な一冊が現れたことに、心から感謝し、祝辞を申し上げたい。

 ありがとうございました。おめでとうございます。

 そして、この書評を書く機会を下さった本書出版の功労者三浦さま、長い書評を最後迄読んで下さった方にもお礼を申し上げたい。

 ありがとうございました。

民族音楽研究演奏家 若林忠宏


【関連】

新刊案内/ウイグル十二ムカーム──シルクロードにこだまする愛の歌 | 集広舎
http://www.shukousha.com/information/publishing/3504/

【11月27日東京亀戸】「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」出版記念講演会
http://uyghur-j.org/japan/2014/10/20141127_12muqam/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その1) 「ウイグル音楽との出逢い(の前に)」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2014/10/20141127_12muqam/