The Asahi Shimbun GLOBE+ 2022/2/4
北京オリンピックが2月4日に開幕する。世界屈指のアスリートたちが熱戦を繰り広げる中、忘れてはならない問題がある。
新疆ウイグル自治区での人権問題だ。この問題に家族が巻き込まれたという日本在住のウイグル出身の男性は「私たちの日常平和を破壊しておきながら、何事もなかったかのように開かれるオリンピックには反対」と訴える。
新疆ウイグル自治区の人権問題
新疆ウイグル自治区は中国北西端にあり、中央アジアなどに隣接している。中国の行政単位(省または自治区)としては最大の面積で、約2500万人が住んでいるとされる。多様な少数民族が暮らしてるが、最も多いのがウイグル族だ。18世紀半ばに清朝が征服して以降、今の中国に属している。2009年に広東省の工場で漢族がウイグル族を襲う事件があり、自治区のウルムチでウイグル族が抗議デモをしたところ、治安部隊と衝突。これをきっかけに当局の締め付けが強まり、ウイグル族を「テロ分子」「分離独立派」なとど呼んで弾圧するようになった。さらには過激思想の広がりを防ぐための教育施設とする「職業技能教育訓練センター」を建設し、多くのウイグル族を収容し始めた、アメリカなどがジェノサイド(集団殺害)にあたると非難。今回の北京オリンピックについても「外交的ボイコット」に踏み切った。
男性は東京在住の会社員レテプ・アフメットさん(43)。ウイグル自治区の出身のウイグル族だが2010年に日本国籍を取得している。
レテプさんは同自治区のカシュガル大学物理学部を卒業後、2002年に来日。東京大大学院理学系研究科で宇宙物理学を研究して修士課程を修了し、そのまま日本で就職した。
カシュガル大の同級生だった妻を呼び寄せ、日本で生まれた子ども3人と暮らしているが、2016年、自治区にいる父親から奇妙な電話が入った。
「子どもを全員連れて帰ってきて欲しい」
父親はそれまで「お前が望むのならそのまま日本にいればいい」と言っていた。不審に感じたレテプさんは仕事や子どもの学校を理由にはぐらかしていた。
すると2017年夏。今度は警察官を名乗る男から電話があり、「すぐに帰って来い。でないと家族がどうなっても知らないぞ」と脅された。
それ以降、一切家族と連絡がつかなくなったが、2018年3月ごろ、警察官からメッセージが送られてきた。
「今お前のうちに来ている。家族と連絡を取らないか」
気は進まなかったが、焦りもあったので電話をした。すると警察官は自分の実家に来ていて、母親が電話に出た。
母から聞かされたのは、父と弟が「学校に勉強しに連れて行かれた」ということだった。
警察官がいる手前、母はそう言うしかなかったと察し、実際は何かの収容施設に入れられたのだと確信した。
それきり、母親とも連絡がつかなくなったが、1カ月ほどたって、警察官から父親の動画が送られてきた。
収容施設の中で撮影されたとみられ、監視カメラのようなものが映っていた。父はひげをそり、いつもかぶっていた伝統的な衣装の帽子が見当たらなかった。
「政府の施設で勉強に励んでいる。当局がとてもよく世話をしてくれているので感謝している。しばらく連絡が取れないけど、何も心配いらない。お前たちも当局の言うことをよく聞いて国のために精いっぱい尽くして欲しい…」
父の表情は別人のようだった。
「こんな話は今までしたことはなかったのでとても驚きました。自分の父親が監視カメラがある部屋に閉じ込められて話をするビデオが自分に送られてくるなんて、まるでニュースでみたようなテロリストによる人質事件のようでした」
そうレテプさんは振り返る。
それ以来、両親と弟とは連絡が取れない状態が続いたが、施設に収容されたという人たちの証言が少しずつメディアに報じられるようになった。
それによると、ウイグル人たちは施設の中で、独自の文化や風習などを自己批判させたり、共産党や習近平国家主席に対する忠誠や感謝の念を持つようたたき込まれたりしているということだった。
レテプさんもメディアの取材に応じて家族の苦境を訴えた。当初は家族や自分の身の安全を考慮して匿名だった。だが、中国政府が「収容者は自ら望んで入っている」「政府に感謝している」「いつでも帰宅できる」などと説明し始めたことに危機感を感じた。
「この問題をもっと強く訴える必要がある」。そう意を決し、名前を明かして取材を受けるようになった。
レテプさんとの主なやり取りは次の通り。
――新疆ウイグル自治区にいるご家族の身に何があったのですか。
異変が起きたのは2016年です。突如、実家に暮らす家族からしつこく「妻と子どもを全員連れて帰ってきて欲しい」と連絡がくるようになったのです。
ちょうどそのころ、海外にいるウイグル人たちを中国政府が帰国させようとしているという報道がちらほらあって、私たちの間では話題になっていました。
エジプトなど一部の国では何百人という単位で強制的に送還するという話もありました。変だなと思っていました。そこにきて、私も家族から連絡を受けたんですね。
それまで両親は「お前がよければそこ(日本)で暮らしていいよ」って言ってくれていたので、突然帰ってきて欲しいと言い出すのは何かおかしいと思って、仕事や子どもの学校のこととか、あれこれ理由をつけて「すぐには帰れない」と言ったんですね。
そしたらある日、また同じような連絡が電話であったのですが、警察官を名乗る人が電話口に出て「さっさと帰ってこないと家族がどうなっても知らないぞ」と言われたんです。
それ以降、一切家族と連絡が付かなくなりました。電話もつながらず、アプリでの通話もできなくなって。なんとか連絡を取ろうと色々と試したのですが結局駄目でした。周りのウイグル人たちにも同じようなことが起きていました。2017年の6月ごろのことです。
結局そんな状況が数カ月間にわたって続きました。2018年の3月ごろになって、警察官からメッセージを受け取りました。そこには「今お前のうちに来ている。家族と連絡を取らないか?」と書かれていました。
私も焦っていたので、その警察官に電話をしました。警察官は実家に来ていて、その電話でようやく母親と話すことができました。その時母が言ったのは、父と弟が「勉強」に連れて行かれたということでした。警察官が目の前にいたので、「収容」という言葉は使えなかったのでしょう。「学校」とか「勉強」とかいう言葉を使っていました。とにかく家にはないとのことでした。
よくよく聞くと、父と弟だけでなく、親類も含めて計12人が連れていかれたとのことでした。
でも、それを最後に母親とも連絡が取れなくなりました。今も時々電話をして、呼び出しはするのですが出ません。
外国と通信すること自体が一つの犯罪にされ、連絡を取っただけで収容施設に入れられる口実になってしまうようです。
だから自治区の人たちは電話は取らないようにしているとも聞きました。母親も着信番号を見て外国だからということでわざと取らないのか、それとも電話が手元にないのか、わからない状況です。
一方、警察官からは連絡が度々ありました。ただ、こちらも話すことはないので無視していたんです。すると母親と通話してから1カ月ほどたったころ、警察官から父親の様子を撮影したビデオが送られてきたんです。
――どんな内容だったのですか。
映像は収容施設の中で撮影されたとみられ、監視カメラのようなものが映っていました。まず驚いたのが、父親の様子が普段と全然違っていて。
例えば、いつもかぶっていた伝統的な衣装の帽子はなく、ひげも全部そられていました。頭に少しこぶがあって、表情はまるで別人のようでした。
話した内容は、当局がとてもよく世話をしてくれているので、感謝していると。自分はこの政府の施設で勉強に励んでいるので一切心配しないで欲しいと。しばらく連絡が取れないけど、何も心配いらないとか、お前たちも当局の言うことをよく聞いて国のために精いっぱい尽くして欲しいと、こういうことを延々と話していました。
こんな話は今までしたことはなかったのでとても驚きました。自分の父親が監視カメラがある部屋に閉じ込められて話をするビデオが自分に送られてくるなんて、まるでニュースでみたようなテロリストによる人質事件のようでした。まさかこんなことが自分に起きるなんて想像もしなかったので、とてもショックでした。
――いったい施設の中では何が行われていたのですか。
実際に収容施設に入れられたけど、運よく外国に逃れた人の証言がメディアによって報じられるようになりました。
それによると、ウイグル人としてのアイデンティティーを捨てさせ、中国共産党と習近平指導部に感謝させ、忠誠を誓わせるために色んなことをやっているということでした。
朝から晩までウイグルの伝統や習慣、独自性を批判させ、それを改めさせる洗脳だと思います。それを力づくでやるのでしょう。
地元の役人にはノルマが課されているとも言われています。それを達成するため、色んな理由をこじつけてはウイグル人たちを収容しているようです。
収容後は健康診断などをへて、警察が「仕分け」をして、ましな扱いを受ける人もいれば、ひどい扱いを受ける人もいると。色んなレベルがあるようなのです。
拷問を受けたり、手足が鎖でつながれた状態で何カ月もすごしたり、中には拷問でなくなったりする人もいるという証言もあります。
収容されてから1年以上たつと、中国語や古典など、色んな試験があり、すべてパスすると隣にある工場で働かされていると。
また、自治区の各地に建設された収容施設から別の町に収容した人たちをひそかに移送しているという報道もあります。その先どうなるのかはわからないと。
――レテプさんもそうでしたが、なぜ海外にいるウイグル人を呼び戻す動きがあったのでしょうか。
中国政府も自治区でやっていることを知られるのは都合が悪いと思っているのでしょうね。つまり、やってはいけないことをやっているという自覚があるということです。
中国国内では元々、情報規制が厳しいですから、外国メディアがどこにでも行けるわけではありません。なので国内は何とかなる。
問題は海外に出ている私たちのようなウイグル人です。私たちが騒げば、国際的な批判につながる。そこで私たちを呼び戻してしまえば、情報が漏れることがぐんと減ると思ったのでしょう。
ウイグル人がパスポートを作るのは難しいんですね。だから海外に出ているウイグル人は少ないです。呼び戻せば何とかなると政府が考えても不思議ではありません。
実際、現地の家族に言われて帰国した人もたくさんいるんです。例えばトルコとかから。そして戻った人もそれきり消息がわからくなったという報道も相次いでいます。
それと同時に、自治区内と私たち海外のウイグル人が電話などで接触することを徹底的に排除しようとしたのではないでしょうか。そう考えると、なぜ私が両親たちと連絡が取れないのかも合点がいきます。
実は私自身、中国に行くという日本の旅行者に実家の様子を見てきて欲しいと頼んだことがあるのです。すると、確かに自治区でも大きな町までは行くことができたのですが、実家がある山奥の村に行こうとしたところ、警察の検問や尾行が厳しくてその人は断念したそうです。
通信も遮断し、物理的にも入れないようにする。そこまでやるということはやっぱり知られたくないのでしょう。
――それ以来、現地のご家族とは連絡が取れないのですか。
そうです。今も連絡が取れない、消息が分からないという状況は変わりません。
――それにしても、2016年に状況が突然変わったのはなぜだと思いますか。
中国共産党はこの70年間、ウイグルを同化するため色んな手を尽くしてきました。教育の現場からウイグル語を排除したり。歴史や文学、宗教に制限をかけたり。
あれこれ試してきましたが、ウイグル人は大昔から、漢族とは全く違う生き方を大昔からしてきたわけです。食べ物、着るもの…。ウイグル人が自ら進んで漢族と結婚することもないし、食事も漢族の店に入ってわいわい騒ぎながら食べるということもしない。
自然同化は難しく、そうなると力づくで進めないといけないという方針転換したのだと思います。
こんな話もあります。習近平氏が数年前、カシュガルを訪問したとき、町の様子や人々の服装などを見て、「ウイグル人は一切変わってないじゃないか。この70年間、お前たちは何をやっていたんだ」と現地の官僚たちを怒ったと。
また、中国とヨーロッパをつなぐ習氏の政策「一帯一路」も関係しているのではないでしょうか。通り道にはウイグルがあるので、治安を安定化しようという思惑があったと思います。
そんな理由から、今のような強硬策が行われるようになったと思います。付け加えるなら、中国は最近、経済的にも軍事的にも、また発信力という点についても世界の大国になってきました。ひどいことをしても、国連を含めてどこの国にも文句は言えないだろうという過信があると思います。
――独自の文化や慣習を制限される形の同化政策にウイグル族の皆さんは不満はないのでしょうか。
もちろんあります。例えばイスラム信仰をめぐって色々と制限を受けています。代々受け継いできた伝統を子どもに教えることだってできない。
自治区にある地下資源は政府によって奪われているという不満もありますし、インフラ整備でも、労働者や資材などは全部自治区外から調達して地元への経済的恩恵が少ない。
一方で、漢族の移民が日に日に増えてきて、生活空間が狭まってくる。行政などの実権を握っているののも漢族で、ウイグル人は色んな面で差別を受ける。そしてそうした不当を、正当に訴える手段さえない。納得がいかないというウイグル人はたくさんいます。
――2009年にウルムチで大規模な暴動がありましたね。あの事件も政府がウイグル族に対して強硬になるきっかけになったのでしょうか。
中国ではあちこちで政府への不満が色んな形で表面化しています。例えば政府が強制的に土地を接収して住民と衝突が起きるとか。年間数万件とかあるのではないでしょうか。
でも新疆ウイグル自治区で起きると、政府はすぐに「テロ事件だ」と発信するんですよ。一方的に都合のいいように情報を流して、それがそのままメディアに報道される。
私たちの両親の世代は、文化大革命を経験しています。あのとき本当にひどい扱いを受けて、それが身にしみています。だから親からは「絶対に政府に不満を言うな。政治に関わることは絶対にするな」と教え込まれてきました。
だから私たちは自ら進んで反政府的な行動を起こすということはあり得ないんです。
それでも、そもそも不当な扱いを受け続けていて、それを訴える正当な手続きもないわけですから、やむにやまれず暴発したり、時に暴力に訴えたりすることはあるわけです。
でも、仮にそれが小規模であっても政府はすぐに無差別に、力ずくで押さえ込もうとする。当事者だけでなく、親戚、知り合い、同僚含めて連帯責任だと言って拘束したり、力で制圧したりするのです。拘束後に行方が分からなくなった人もたくさんいます。
なぜ暴動が起きるのか、事件が起きるのか。そういう背景や理由を分析せずに、力で押し切ろうとすれば、家族や友人の間に憎しみはどんどん生まれていきます。例えば自分の家族が突如、理由もなくいなくなったらどうでしょう。憎しみが消えるわけがありません。そして次の事件につながっていく。まさに負の連鎖です。
――中国政府はいつまでこのような政策を続けていくと思いますか。
私の考えでは、おそらく中国は自ら政策を改めることはないと思います。間違っているという認識もないでしょうし、そもそもの目的はウイグル人としてのアイデンティティーを放棄させるということで、それはまさに戦略なのでしょうから。
これを終わらせるためには外部からの圧力、すなわち国際社会の力が必要です。アメリカなど一部の国はすでに厳しく非難していますね。これは人道的な犯罪だと。そうした動きがもっと世界規模で連鎖的に起きて欲しいです。
実際、中国としても外部からの圧力がいやなんだと思います。だからこそ、私たち海外にいたウイグル人を呼び戻して外に不都合なことが漏れないようにしたのだと思います。
ウイグルの文化や伝統など、各界でリードしてきた知識人が次々と収容されています。だから、この政策があと数年も続けば、書き残す人も伝える人も、あるいは経済力を持っている人もいなくなってしまいます。ウイグル社会は崩壊するでしょう。この間に教育を受けた子どもたちは自分たちのルーツを知らないわけですし。
――レテプさんはこうして実名で取材に応じてくれていますね。怖くはないのですか。
最初は匿名でした。匿名で取材に協力する人もまだ多いです。それは自分に対する被害もそうですが、何より、自治区に残っている家族にさらなる迫害が及ばないように配慮するからです。
私自身、最初は1カ月か2カ月もたてば状況はかわるだろうという期待がありました。だけども、半年、1年がたっても変わらない。世界中がネットにつながっているこの時代に、連絡がつかないわけです。親と電話1本できないまま年月がすぎていきました。
色んな証言によって実態が明らかになり、中国に対する批判が出てきましたが、そうすると中国政府は「彼らは自ら望んで施設に入った。みんなすごく幸せを感じています。政府に感謝しています。家には帰りたいときにはいつでも帰れます。家族ともいつでも連絡が取れます」と言い始めたわけです。
でも実態はどうですか。私の家族はどうなんだと。政府が平然とプロパガンダを始めたので、危機感を持ちました。自分がしっかり訴えないといけないと思ったんです。それで2019年からは実名に切り替えて、まずは信頼できるメディアの取材から応じるようになりました。
私だって望んでやっているわけではありません。親からは政治に関わることを固く禁じられていたので。だけども自分の大事な家族のことなので放っておけない。行方がいまだに分からないということを訴えていかないと、家族に申し訳ないと思ったんです。
怖いときもありました。ただ、中国政府が一番望んでいるのは、海外のウイグル人が黙ることです。そうすればあとは国内で好き勝手にできると考えていると思います。
自分たちが黙れば黙るほど、家族をそのまま失っていく可能性が高まると思っています。怖さと失望、絶望が勇気へと変わったと思います。
それに逆に実名にすることで、中国側もかえって手を出しづらいということがあると思います。
――北京オリンピックではウイグル問題をめぐって、アメリカなどが外交的ボイコットをしました。
本来ならオリンピックはわくわく楽しみなイベントのはずです。でも今回はとてもじゃないですけど、平和の祭典とは言えません。いまだに家族と連絡が取れず、私たちの日常平和を破壊しておきながら、何事もなかったかのように中国が開こうとしているオリンピックには反対です。
中国は外部からの圧力でしか強硬策をやめないと思います。その意味では世界規模のイベントに合わせて各国が外交的ボイコットのような手段を通じて政治的メッセージを発するのは、すぐさま収容施設の閉鎖につながらなくても、意味があると思います。
とにかく中国に言いたいのは、人権を尊重し、現状を改めなければ国際社会から相手にされないということです。
https://globe.asahi.com/article/14540397