ウルケシ氏のブログより翻訳


ウルケシ氏のブログより翻訳
2009年6月4日付の記事
「20年が過ぎて」

20年前、天安門事件の殺戮の余波の中初めに逃亡中、母は脳卒中を患っていた。それは顔面の半分を麻痺させるものだった。母がその事を告げたのは、亡命生活10年目の事であった。ベルリンの壁が崩壊した年、自分たちが北京でした事を後悔していない。当時は、変革への大きな望みが満ちあふれていたが、死者達の事は20年脳裏から去った事はない。そして母を抱きしめ、済まないと言ってやりたい。
だが無理だ。中国政府は両親にパスポートを発給しないだろうし、私の帰国も許可しないだろう。世界が、中国を世界経済を引っ張る責任ある国際社会の一員として、世界の資本主義を再興させる奇跡として見ている時点で、私の気持ちを説明するのは難しい。しかし、中国の進歩はあまりにも一面的であると失望しているという感じである。
我々が1989年に犯した罪は、変革を求めようとした事である。1919年に学生たちは、中国が現代世界の一員となる為、変革のため活動した。1989年、私達も同じ事をした。2009年、中国に変化が訪れた。外国からの投資に酔いしれ、外面的にはウオールストリートジャーナルの読者が住んでいる所と一緒の国である。自分の目で見てはいないが、中国には現在セブンイレブンも地下鉄もショッピングモールもデイスコもイタリアのブランドも有る。中国は宇宙空間を歩んでいるかのようだ。
ある部分では、我々の望んでいた変化が訪れた。1989年北京の人々が運動を始めたときの事を、現在の人々は欲求不満の為の行動と見るかも知れない。1989年、私が亡命した時、抗議運動の目的は初め中国の若者はナイキが欲しいし、女友達と一緒にバーへ行きたいからだと私は言った。そのような事は私が育った中国では無理であった。今は出来る、それも中国の大学生が1989年に立ち上がり、それに労働組合や一般市民が加わったからである。政府は不平不満を押しとどめておくには経済を自由化する他はないと気がついたからである。
要するに、20年が経ち、1989年の抗議運動は一種の悲劇的な成功だったと思う。中国はナイキやデイスコを手に入れた。だが不幸にも我々が憧れた政治改革は行われなかった。長年に渡り、私は中国の人々とのある種の対話が行き詰っているという意見を持っている。それは経済の繁栄と引き換えの政治の停滞と不変の一党独裁体制である。今日、抗議運動を終わらせた殺戮の記念日、それは錯覚に基づくものであると言いたい。
過去10年かそれ以上、我々は中国の発展を耳にしている。だがそれは開かれた社会でのショッピングモールやブランド、発展ではない。更に中国の発展という幻想は、中国の人民のみならず国際社会にも高くつく。その結果は、世界第3位の経済が現代社会の他の国々で話している言語と同じではないものを話している人々の手に握られているということである。評論家達が何と言おうと、先進諸国、西洋、日本、台湾でさえ日常的に投獄されたり、開かれた議論をした者が亡命するような政治体制ではない。
中国はテレビ、新聞、ブログ、映画でお馴染みの存在である。お茶の間でもそうだ。だが中国は政治的には満身創痍で、あなたと同じ言葉を話すわけではない。開かれた議論や異なった意見が成熟した社会で不可欠なものであると学ぶ迄真の発展はないと気付くまでそうはならない。
1989年私が言ったように、我々はナイキやデイスコが欲しかった。しかし我々は世界で、真の意味で重要な役割を果たす誇りある国に属したかった。我々は中国に国の将来を自由に議論できるようにしてもらいたかったし、そうした将来にもしたかった。これは、未だに実現していない。もし実現していれば、私や他の多くの亡命者も帰国を許されるだろう。また、最も望みが薄い事だが自分の両親にパスポートが発給され母を抱きしめ心臓発作と自分の掛けた心配について謝ることが出来るだろう。

【ウルケシ氏のブログ】
http://wuerkaixi.com/

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