家族が、自分が連行されるかも…それでもウイグルを伝えたい ウルムチ騒乱から15年、日本で何を思い暮らすのか
- 2024/9/10
- ウイグル情勢
東京新聞 2024年9月10日 12時00分
中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で2009年、イスラム系少数民族ウイグル族と漢族が衝突した「ウルムチ騒乱」から15年が過ぎた。中国政府は「テロ対策」として抑圧的な管理を続け、「再教育施設」と称する施設にウイグル族を強制収容しているとの指摘もある。海外で暮らすウイグル族の多くは故郷の家族らへの迫害を恐れて口をつぐむが、今回、30代の在日ウイグル族の男性5人が東京新聞の取材に実名を伏せて応じた。共通するのは「現実を知ってほしい」という切なる思いだ。
ウルムチ騒乱 2009年7月、中国北西部に位置する新疆ウイグル自治区の区都ウルムチでデモ行進していたウイグル族が治安部隊と衝突し、大規模な騒乱に発展。当局発表で197人が死亡、1700人以上が負傷した。中国当局は自治区内に「再教育施設」を建設。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は18年、約100万人のウイグル族を強制収容していると指摘している。
◆強制収容された母、やせ細って監視下に
「2度、日本に会いに来てくれた母が帰国後に強制収容所に連行された」。埼玉県に住む男性は話す。家族が海外に住んでいるだけでも連行されると耳にした。「身元を隠しても、小さな情報から誰の家族かわかってしまう」。釈放後にビデオ電話に映った母はやせて見え、面識のない人が近くで監視していた。「何があったのか聞けず、たわいない会話しかできない」
◆海外居住者の家族が連行されるケースも
同郷の妻、長女と埼玉県で暮らすイルクさん(仮名)は2017年、両親からビデオ電話で「帰ってくるな」と言われた。海外居住者の家族が連行されることが増えたためだ。「妻の兄と姉も6カ月ほど強制収容所に入った」。実名と顔を出して抗議したいが、「自分の命より家族が心配」。
◆日本でデモに参加「民族に貢献できた感じ」
神奈川県で生活するタガチさん(仮名)は2018年に日本で弾圧に抗議するデモに初めて参加し、「気持ちが高揚し、民族に貢献できたと感じた」。デモ参加時は帽子とサングラス、マスクを着用する。「故郷の家族を不幸にしたくない」。自宅には伝統楽器「ドゥタール」や故郷の文化を描いたじゅうたんを飾っている。
◆故郷で採用断られ「差別が嫌だった」
千葉県内に住むサダさん(仮名)は地元で就職したかったが「ウイグル人だから」と採用を断られた。「差別が嫌だった」。来日後、家族から「私たちは幸せだから帰ってこなくていい」と伝えられた。帰国すれば連行される恐れがあるため、遠回しな言い方になるのだろうと想像している。家族を巻き込まないように匿名で活動しているが、「ウイグル人の現実を知ってほしい」。
◆自分の意見を殺して、政府を支持させられた過去
騒乱当時、北京の大学生だったルスランさん(仮名)は地元に帰った際、警察の取り調べを受け、政治的な集会でスピーチをさせられた。自分の意見を押し殺して政府を支持する発言をし、「罪の意識に苦しんだ」。今は身元を隠してデモに参加し、ウイグル族に関する資料を作る。「できることをしないと後悔する。たくさんの人に立ち上がってほしい」
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◆在日ウイグル人会長「逮捕も覚悟のうえで発信」
「隣の国の現実を発信したい」。在日ウイグル人でつくる日本ウイグル協会のレテプ・アフメット会長(46)は力を込める。
「2018年、地元の警察から、収容所にいる父の映像が届いた。見るたびに泣いた」。その後、顔と実名を公表して活動し、故郷の家族とは連絡を取っていない。「支援者を増やして市民やメディア、政治家の問題意識を高めたい。帰れば逮捕されることも覚悟して取材を受けている」
09年の騒乱当時は、日本に住む普通のサラリーマンだった。「中国がウイグル人の平穏を壊した結果、活動家を育てた。誰も望んでこの道を選んでいない」
◆文と写真・木戸佑
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