産経新聞 2022/2/21
千葉大大学院で研究経験を持つアブドハリリ・アブドレヒミ氏(47)が昨年末に中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区で拘束されたとみられ、消息不明となっている。民族迫害政策に直面する自治区のウイグル人は知識人が収監対象にされやすいという。作家や研究者らはウイグル文化を次代に引き継ぐ力を持ち、漢民族への同化政策を進める中国当局にとって、不都合な存在だからとみられる。在日ウイグル人の弟と妹は中国大使館前で兄の釈放を求めている。(奥原慎平)
18日午前、東京・元麻布の中国大使館前。アブドハリリ氏の弟、由理知(ゆりち)沙見(さみ)氏(45)と妹のグリニサ・アブドレヒミ氏(40)が兄の写真を貼った自作のプラカードを掲げ、建物に出入りする職員らに無言で厳しい視線を向けていた。
アブドハリリ氏は1998年、自治区の新疆大学を卒業後、99年10月に千葉大に留学。2004年に千葉大大学院の博士課程に進学し、ウイグル語の自然言語処理・機械翻訳を研究した。10年7月に自治区に帰国し、区都・ウルムチでホテルやウイグル料理のチェーンストアでIT担当の責任者を務めていた。
自治区では17年頃から海外の留学経験者が「国家分裂罪」などの容疑で拘束が相次ぐ。由理知氏も兄の身辺に不安を覚えていたが、嫌な予感は的中する。
昨年7月15日、兄は6月中旬に中国当局に連行されたと自治区の関係者から聞かされた。
由理知氏らは日本から兄の解放を働きかけた。外務省や千葉大大学院の恩師らに兄の消息確認への協力を相談。10月7日に中国大使館に兄の安否を尋ねた。大使館側の返答は、「直接自治区に問い合わせてほしい」という内容だったが、11月11日夜にアブドハリリ氏は自宅に帰ってきたという。
由理知氏は安堵(あんど)しつつも、自治区で発言の自由が許されていない状況を改めて感じたという。
兄とは普段、中国の通信アプリ「微信(ウィーチャット)」でやり取りしている。兄の連行を聞く前、昨年6月下旬、兄と微信で連絡が取れなくなった。家族によれば、兄の携帯電話が故障したためという。ただ、家族の携帯を使えば、由理知氏に連絡することは可能だ。由理知氏は「兄は連行された」と直感した。
兄が11月に家に帰った際、親族は由理知氏に「兄は病気だったが、元気になって退院した」とも説明した。親族は当時、関係者にアブドハリリ氏が連行されたと悲痛な思いを明かしていた。自治区では中国当局による盗聴を前提に微信を使用しており、親族が「兄は中国当局に逮捕された」と言えるわけがなかった。
しかし、昨年12月10日、勤務先で兄が担当する企業のホームページの更新が途絶えた。不思議に思った妹のグリニサ氏が今年1月7日、勤務先に問い合わせると、アブドハリリ氏は出勤していないことが発覚したという。
現地の知人を介し、親族に状況を聞くと、兄は中国当局者に連行されたという。警察関係者によれば、逮捕容疑は「国家分裂罪」。ただ、現時点で兄の取り調べが終わり、刑務所に送られたという情報は聞こえてこない。
自治区の親族らウイグル人は当局に監視され、行動の自由はない。日本で問題化する他に、兄の解放につながる方法はない─
由理知氏とグリニサ氏は1月10日頃から、仕事や子育ての合間を縫い、それぞれの自宅から2時間近くかけ、大使館前に通い始めた。昨年11月に兄が解放されたのは、日本の関係者が、兄の安否を案じて行動したことが影響した可能性もある。
指導教官だった千葉大大学院の伝康晴教授(言語学)も、2月1日に中国大使館にアブドハリリ氏の消息を確認するメールを送った。伝氏は産経新聞の取材に、「アブドハリリ氏とは家に招かれるなど家族ぐるみの付き合いだ。彼は気さくな学生だった」と教え子の無事を案じ、博士論文の完成を求めている。
「優秀な学生だったが、博士論文を完成できずに帰国してしまった。もう一度、日本に来て博士の学位を取得するという大きな仕事が残っている」
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日本ウイグル協会によれば、昨年3月時点で日本の大学院で博士課程を修了し、自治区で直近の勤務先が判明している行方不明者は少なくとも9人いる。大学への留学経験者に広げれば、数倍になる恐れもある。
海外の事例を含めると、中国当局に拘束される知識人は、ウイグルの伝統文化の専門家に加え、情報処理技術(IT)の研究者も多い。アブドハリリ氏も千葉大大学院でウイグル語をコンピューター処理する技術開発を担っていた。
ウイグル協会のレテプ・アフメット副会長は、「ウイグル語はコンピューター上で扱いが難しかった。中国当局にはアブドハリリ氏のような技術者を拘束し、ITの分野からウイグル語を排除させたい思惑がある」と指摘し、「技術者や作家はウイグルの若者にとってあこがれの存在だ。その『希望の星』が消えれば、若者たちはウイグルの歴史や文化に誇りを持てなくなり、絶望に陥りかねない」と危機感を募らせている。
https://www.sankei.com/article/20220221-2ZXWMVGGXRNQ7KRRYP4HZEPF5Y/