グルジャ事件について
- 2011/12/5
- お知らせ
2009年7月にウルムチでの虐殺事件が起き、ウイグル人にとっては忘れられない日となった。しかしこのウルムチ事件と同じ規模の大虐殺事件が、今から13年前の2月にグルジャで起きている。
1997年2月5日、東トルキスタンのイリ地区のグルジャ市で、無実の罪で逮捕されたウイグル人青年の釈放を要求するデモが行われた。ウルムチ事件が6月26日の広東省のウイグル人襲撃殺害事件への政府の対処を求めるデモで始まったのと同じように、グルジャ事件も最初は平和的なデモ行進から始まった。しかし現地政府はこのデモ隊に対して公安警察、武装警察を投入し、過酷な弾圧を加えて多くのデモ参加者を逮捕し、スタジアムに集めた。そして気温マイナス20度の状況で彼らに対して放水し、多くのウイグル人を凍死させた。その後も不当逮捕は続き、多くのウイグル人が拘束され亡くなっていったのである。
グルジャ事件の発端となったデモが釈放を要求したウイグル人青年は、「マシュラップ」を主催しただけであるのだが、大勢の人が集まることに対して過剰反応した中国政府によって逮捕されてしまった。
マッシュラップとはウイグル人の地域コミュニティで行なわれる集まりのことである。ある年齢に達してマシュラップに参加するようになったときに、地域社会への参加も意味することになる。この地域コミュニティの集まりが、青少年がアルコールや麻薬などに走ってしまうことを防ぐ役割も果たしていた。1997年当時、グルジャ周辺では青年らのマッシュラップの指導者たちがサッカーリーグを組織し、トーナメント戦による試合を行っていた。
しかし、ウイグル人の団結を恐れた公安当局はマッシュラップを禁止し、強制的に解散させ、指導者を不当に逮捕したのである。当局の弾圧に対してウイグル人の若者たち1000人が、1997年の2月5日に抗議のためにデモに参加し、横断幕を掲げ、宗教的なスローガンを叫び行進した。このデモ隊に対して公安警察や武装警察が発砲し鎮圧した。それだけに留まらず、その場でデモを見ていただけのものまでもが多数逮捕されたという。そしてデモ参加者の多くをスタジアムに追いやり、零下20度の状況下で、服を剥ぎ取られ放水され、多くのウイグル人が凍死した。当時、逮捕者があまりにも多いため、イリ地区の留置所はすべて一杯になったという。
グルジャは1944年建国の「東トルキスタン共和国」の独立運動発祥の地であり、カザフスタンの国境から80kmのところにある。中国とソ連が対立を深めていた1962年には数万人のウイグル人やカザフ人がソ連領内に脱出する事件も起きている、中国政府にとっては敏感にならざるを得ない要衝でもある。1997年のグルジャ事件を中国当局は「共産党政権の転覆を目的とした民族分裂主義者の破壊活動」と決め付け、これに断固として対応すると発表した。
グルジャ事件の後も、イリ地区では事件に関与した疑いがあるとして数千人が逮捕され、数百人が処刑され、また刑務所内での拷問により多くのウイグル人が亡くなっている。虐殺事件から12年を経た今でも、監獄で不当に拘留されている者がいる。
2009年7月のウルムチ事件は外国人の撮った映像があるため、中国政府の公式発表が事実とは全く異なることが判明した。しかし、グルジャ事件については実像がなかなか表に出てこなかった。
しかしこの多数の犠牲者を出したグルジャ事件は記憶され、在外ウイグル人組織によって毎年この日に合わせて中国政府への抗議行動が行われてきた。これからはこのグルジャ事件2・5と共に、ウルムチ事件7・5も、ウイグル人にとって忘れられない日となることだろう。