【連載】麗しき天真爛漫の響き(その5)「ウイグル詩の深淵と歌声の天真爛漫」若林忠宏


小学校での演奏。子どもの頃、「時間に限り」があるとは思いもしませんでしたが、子ども達は、あっと言う間に大人になって行きます。

小学校での演奏。子どもの頃、「時間に限り」があるとは思いもしませんでしたが、子ども達は、あっと言う間に大人になって行きます。

  私は、ウイグル語の先生が帰国間際になって「本当は、この様な歌の方をウイグルの人たちは喜ぶと思う」とプレゼントしてくれたカセットテープを聴いて、大ショックを受けました。「全然違うじゃないか!」と。
 私が既に持っていたカセットテープは、それでもかなり苦労して入手したものでしたが、比べればまるで歌謡曲。先生お奨めの音楽は、深みがあり、温かさもあれば厳しさ鋭ささえもある。ウイグル族とは、親戚筋とも言われるウズベク族の音楽にも負けない、豊かで壮大な伝統の底辺と基盤をも感じさせる誠に立派な音楽でした。

 そのテープは、詩人Dawtjan Nasirの曲を集めたもので、私はどの曲も歌いたいという衝動に駆られました。「なんで帰国間際にこんな宝物をお見せ下さるのだ!」と内心思ったのですが。なんと、ナスィル翁の五曲目を学んでいる頃になって、もっと凄い宝物をお見せになるのですから参りました。その話は後ほど致しますが。
 良く良く考えれば、出し惜しみでも意地悪でもなく。先生にしてみれば、故郷に手紙を書いて、私の為に送って貰ったカセットがやっと届いたということなのでしょう。
 そして、先生がそう思い立つに至る程、私のウイグル音楽と伝統に対する想いの確かさが伝わるにも時間が必要だったのでしょう。


 世界の民族音楽と出逢ってから早四十三年。或る意味かなりの年数ではありますが、「時間は幾らあっても足りない」と常に感じて来ました。
 相手が「世界」であるからと思われましょうが、その内ひとつの国の音楽を取ってみても、心底理解し、その国の人々が聴いて涙してくれる迄には、五年十年はあっと言う間の時間です。にも拘らず「出逢い」というものは、千載一遇の機会であるとも痛感して来ました。気後れなどしていたらチャンスを逃してしまう。

 奮って手にしたとしても、気を緩める暇など無く、がむしゃらに食らいついて行かねば時間が足りない。

 この感覚は、島国日本に生まれ住んでいると分からないかも知れません。昔「狭い日本、そんなに急いで何処に行く」という名台詞がありましたが、狭い島国で、会いたいと思えばどうにかなるだろうし、必死で追い掛ければ追いつくかも知れない。私たちの心の基本には、きっとそんな楽観が在る。
 しかし、大陸やシルクロードの広大な世界に置かれては、出逢いは、彗星や惑星の大接近の様な二度と得られないかも知れない貴重な瞬間なのです。
 民族楽器もそうでした。骨董品店や民芸品店で、まぐれの様に見掛けたその時に手に入れないと二度と出逢えないことが沢山ありました。
 野良子猫や捨て猫もそう。風に乗ってかすかに聞こえたその声を「気のせいだろう」と言い聞かせてしまえば出逢えない。「いや、待てよ」と足を止めたり、立ち戻ったりすると、出逢いの門が開かれるかの様に導かれるのです。

 尤も、同じ感覚を、商才や投機の才能のある方々も日々感じてらっしゃるのでしょう。千載一遇のチャンスをモノにすれば大儲け。臆すれば儲け損ねたり大損する。もし楽器が正当な値段で売れるのであるならば。学んだ音楽が世間の評判になり高い出演料が得られるならば。そして、猫たちや、かつて熱心に飼育に取り組んでいた少なく成った里山の昆虫たちにプレミアが付いて高値で売れるならば、私はきっと億万長者になっていたに違いありません。
 なにしろ捨て子猫や昆虫のかすかな鳴き声を聞きつけたり、民芸品店の倉庫の片隅でほんの数センチの楽器の部分を見付けたりの技能に関しては右に出る人を見たことがありませんから。

 そんな私が痛感する出逢いと時間の貴重さは、大陸やシルクロードの人々の感覚にきっと深く根付いているに違いないと思います。

 それに対して現代人は、スマホだ携帯だ、FacebookだTwitterだ、などなどで、何時でも交信出来るという感覚にどっぷり浸ってしまっている。むしろ些細なことで互いに気分を害し、「うっとおしい」と感じる様な、贅沢を通り越した感覚さえまかり通っていて。むしろ日々は、それらを削除、切り捨てる作業の方で忙しい。


 ウイグル族と近縁とも言えなくもないモンゴルの話しで、しみじみと感じ入ってしまったものがあります。

「あっ!お父さん帰って来た!」と子どもが平原の彼方を見て言ってから、三日後に到着した、と言うのです。
 「もの凄い視力だ」という話しでもありますが、私はこの「距離感」と、それとセットになっている「面積感、平面感、空間把握感覚」に感動したのです。海外出張のお父さんが、帰国三日前にスマホか携帯にメールで帰りを知らせることには存在し得ない感覚です。スマホや携帯の電波が飛び交う空間を感じ入れる人等いないでしょう。
 しかし、大陸やシルクロードの人々は、生まれながらにその感覚を持ち、死ぬ迄日々それらを俯瞰し感じ入って生きているのではないでしょうか?


 ウイグル人留学生の家庭教師の先生が下さったナスィル翁の名曲の中でも、私のウイグル音楽プログラムの十八番にもなった「アダルの花」という曲が、私にそれを教えてくれました。
 先生も物語の詳しいいきさつはご存知なく「出稼ぎなのか?」「悪徳地主から逃げた小作人なのか?」「禁断の恋の末の逃避行なのか?」などとおっしゃってましたが。
 そんなふたり(歌の中では「私たち」となっています)が、「こんなに遠く迄来てしまった」とつぶやく。嘆きの様で、呆れの様でもあり、後悔の様でもあり、謝罪や懺悔の様でもあり、諦めの様でもある。

 感じようと思えば幾らでも様々な想いが感じられるもの凄い曲です。

 「こんなところ迄来てしまった」という言葉の後、二番の歌詞で「父に何と言おう」「母に何と伝えよう」「こんな干し草の様な顔つきになってしまった私たちのことを」という歌詞では、歌う度に込上げて来そうになるほど、見事な旋律とリズムが織りなされています。

 しかし、この歌も、出逢いや機会や時間や平面、距離を彼らの様に感じられる人が聞くのと、スマホ携帯が当たり前で、その感覚の話しさえ通じない人々が聞くのでは全く違う様な気がします。

 と、言いつつ。「狭い島国」の日本人さえ、昔はその感覚を持っていたことは、歌舞伎音楽の長唄などから充分知ることが出来ます。

 ナスィル翁の歌と同じ様なテーマの「道行き」の曲はとても多い。何も無い、人っこ一人居ない浜辺を歩いて行く人を見送る時の擬音などは、実にしみじみと心に入ります。
 三味線や締太鼓の音が、旅立つ人の姿が米粒の様になり、やがて岬の麓に消えて行く様を見事に表現しているのです。
 「こんな遠く離れてしまった」は、現代人が気付き、想いを巡らせるべき「心の原点」を示唆している様な気もします。

 島国だ大陸だと、条件を比べる迄もなく。失うべきでなかった感覚を失わせたものは、有り難みの心を蝕む便利さかも知れません。


若林忠宏若林忠宏(わかばやしただひろ)
 民族音楽研究演奏家。1956年、元文学座俳優の父、ピアノ教師の母の下、東京に生まれる。1972年中学三年の時に、民族音楽と出会い自作楽器で独学を始める。高校入学直後にインド弦楽器シタールを入手し、その年、池袋に一店のみだったPARCOと、Live-Houseの原点だった「渋谷じぁんじぁん」で日本初の民族音楽演奏家としてプロ・デビュー。以後、世界中の民族音楽で大小1500回以上演奏。1978年に都下吉祥寺に日本初の民族音楽ライブスポットを開店、1990年には、日本初の民族楽器専門店を開店、それぞれ20年、10年続け、1999年に閉店。
 その後は、日本の伝統邦楽修行に邁進するが、「民族楽器音の辞典」CD90枚の製作依頼を受け、一年足らずで中断。在京各国大使館での演奏 、TV-C.M.、ポップス・アーティストの録音に参加。「タモリの音楽は世界だ(二回)(二回目は北島三郎さんと共演「与作」をインド楽器で伴奏)」「タモリ倶楽部(四回)」「題名のない音楽会(二回、二回目はソロ)」「開運なんでも鑑定団(特別鑑定士)」「なるほどザ・ワールド」などに出演。1980年インド・ラクナウ市にて日本人初リサイタル。1984年ペシャワールのアフガン難民児童医療団慰問演奏。の他、タイ、マレーシア、ウズベキスタン、中国、スペインなどで音楽研修。来日民族音楽演奏家との共演の際にレッスンを受け世界中に数十人の師匠を持つ。
著書に「アジアを翔ぶシターリスト(大陸書房:絶版)」「民族楽器大博物館(京都書院:絶版)」「民族音楽を楽しもう」「世界の師匠は十人十色」「アラブの風と音楽」( 以上ヤマハ出版)。「もっと知りたい世界の民族音楽」「民族音楽辞典(日本初)」(以上東京堂出版)。「スローミュージックで行こう(岩波書店)」「民族楽器を演奏しよう(明治書院:学びやぶっく)2009年6月」「まるごと民族楽器徹底ガイド(YAMAHA)2010年2月新刊」などの他、共著もある。
 中央アジア民族音楽に関しては、1980年に手製ウイグル楽器でアジア大学学園祭に出演したのをスタートとし、1984年にソ連時代のウズベキスタンに特別研修に赴き、主にホラズム音楽を研修。2000年には、新潟アジア文化祭の解説を担当し、来日ウイグル歌舞団と交流。
 2014年現在は、膨大な楽器資料の保管と、保護猫の健康の為に福岡市郊外に移住し、インターネットTVによるレッスン、講習会、執筆活動によって、捨て子猫、野良子猫の世話に寝食を削っている。
 尚、各方面に募集中の連載コラムは、このウイグル協会の他に、この度2014年11月に発刊された「ウイグル十二ムカーム」の出版社である集広舎のWebでも、猫と音楽が絡んだコラムを2014年9月より連載中。 http://www.shukousha.com/category/column/wakabayashi/


【連載】麗しき天真爛漫の響き(その1) 「ウイグル音楽との出逢い(の前に)」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2014/10/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_01/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その2) 「ウイグル音楽との出逢い(前編)」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2014/11/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_02/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その3) 「ウイグル音楽との出逢い(後編)」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2014/12/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_03/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その4) 「ウイグル弦楽器『ラワープ』の不思議な翼」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2015/01/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_04/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その5)「ウイグル詩の深淵と歌声の天真爛漫」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2015/02/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_05/

【連載】麗しき天真爛漫の響き(その6)「ふたりの日本人に託されたカセット全集」若林忠宏
http://uyghur-j.org/japan/2015/03/tadahiro_wakabayashi_uyghur_music_06/


【関連】

【本】「ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌」萩田麗子
http://uyghur-j.org/japan/2014/10/book_12muqam/